綺麗なハンカチを沢山持つということ
ANNA SUIというブランドが好きだ。ものすごく好きだ。とんでもなく好きだ。
1番好きなのは、店員さんだ。まず、ハチャメチャにいいにおいがする。この時点でもうものすごく好きだ。なのにさらに、美しい制服をそれぞれが僅かに違う着こなしで身に纏っている。ハチャメチャに好きだ。結婚してほしい。いつもおこづかいを握り締めてANNA SUIに行く度におこづかいの野口英世の代わりに区役所の婚姻届を提出しそうになる。
店員さんの次に好きなのは、ハンカチである。コスメを買えよこの貧乏人がと石を投げないで欲しい。コスメも好きだ。すみずみまで美しくて、飾っておくだけでお部屋が花やかになる。猛烈に美しい。あまり使えない。あの……勿体なくて……。
こんな感じだ。猛烈に可愛い。もしこれらのハンカチが初見なら正直こんなブログを読んでいる場合ではなく、一刻も早くANNA SUIの公式ホームページからさまざまな美しいハンカチを見てみて欲しい。何故ならサイトデザインさえも爆発的に美しいので。
わたしは何枚かハンカチを持っている。百均で見つけた白くて肌触りのよいハンカチの縁にレースを縫いつけたお手製のものもあれば、ANNA SUIの蠱惑的な装飾のハンカチや、JILLSTUARTの純粋なキュートさで人間を殺しに来るハンカチもある。要はたくさんある。
JILLSTUARTのハンカチは本当に可愛い。この僅かなロリロリ感が最高にたまらない。わたしのようにロリータ全開、夜露死苦!と大手を振って外を出歩けぬか弱い乙女にとって、こういう小物で精神をロリっとさせてくれるアイテムは非常にありがたいのである。精神衛生上。
わたしの好みのハンカチについて。それを五千兆億字書いてもいい。けれどそれよりもっと贅沢なことを今日は書きたい。
朝、今日その日のハンカチを選ぶのが好きだ。
わたしは優雅とは程遠い人間なので、朝に着る服を選ぶなんて贅沢はできない。たいてい前の晩に眠いまなこを擦りながらiPhoneで翌日の気温をチェックして「明日はどんな気分になるだろうか」と考え、「よしおそらくカラス族の残党の如き服を着たがるだろう」と決め、「明日はカラスになるぞ」と祈りながら床に入るのである。そして大抵カラスにはならない。
朝はたいてい忙しい。し、憂鬱極まりない。出来ることならこのまま永遠に毛布にくるまって生涯を終えたい、わたしは週七のペースでそう思う時期が訪れる。
だから、美しいものを生活の何処かに取り入れたい。
それは前の晩に磨く靴だっていい。毎朝新鮮な水に取り替える花だっていい。季節に合わせた色彩を身体に滑らせる、衣服だっていい(わたしには無理だったが)。
わたしは、ハンカチとは美しい概念だと思った。なので生活を美しくするためにハンカチが必要だと思った。
美しいものを生活に取り入れてゆきたい。そうすることが生存するにあたり必要なことだと思った。
ドラッグストアの制汗剤と安価なワックスを塗りたくった思春期はいつもわたしを救わない。一人でいるのが寂しくない訳じゃない。でも寂しさをほんの一瞬紛らわす為だけに薔薇のつぼみが綻んで花開くようすに恍惚を感じ得ない人間とランチをとるなんて死んだほうがマシ。
わたしは一人で幸福をつくることができる人間で在りたい。それはすこし寂しいけれど、寂しさとは美しさのガラス越しの隣人なのだから、すこし寂しいけれど、構わないと思う。
わたしの朝に花の水を取り替える余裕なんてない。洋服を選ぶ余裕すらない。毎朝抗鬱剤が効き始めるまで希死念慮で頭がいっぱいで何もしたくない。
それでもずるずるとベッドから這い出てミネラルウォーターで抗鬱剤を流し込む。今日はフリルで縁取られた隅にちょこんと施された純白のリボンが可愛い、真っ白なハンカチをスカートに仕舞おうと思ったから。
わたしは生活の中に美しさを挿れなければならない。そうまるで花瓶に水を遣るかのように。そうしなければ枯れてしまうから。