わたしはインターネットでしか息ができない。
インターネットでしか息ができないという、人類として退化なんだか進化なんだかようわからん奇形になり果てた人間の話をします。わたしの話です。わたしのブログなんだからわたしの話をするに決まってるだろ。
インターネットでしか息ができないので、最近はインターネットに肉を持ち骨を生やし息づく少女のプロデュースが生き甲斐になっています。お任せしていただけたのはありがたいことです。インターネット越しの男にモラハラDVを受け続けて「フルタイムの正社員じゃないと人権がない」とぐるぐる目でHello❤Workの門を叩いては「あなたは金銭面体力面生活面すべてにおいてふんわりとしか考えていませんね?」と正論アタックを受けて瀕死になったりするよりよっぽど正しい人生の浪費です。
ハロワ「県内での就活はどう」
わたし「①自家用車不可能②持病病院転院希望③家庭内地獄早急脱出」
ハロワ「う〜んそっかぁ⋯⋯じゃあ県内で転院しよう」
わたし「①③不適合」
ハロワ「う〜ん⋯⋯この辺りにも社宅有求人あるよ」
わたし「①②不適合」
閑話休題。
人生の浪費。なんというか以前まだわたしが夢に燃えて鬱病になっていた頃のわたしをご存じの方が幾人いらっしゃるかは知らないのですが、夢を燃やし尽くした結果夢ごとわたし自身も灰になってしまい、年数だけが重なり、真っ白な履歴書、所謂《無敵の人》に非常に近い状態になっており、持っている資格といえば精神障害者手帳二級のみというひのきの棒で人生という魔王をブッ殺してこいと言われた勇者の気持ちになっています。毎秒。
人生は何かを為すにはあまりにも短すぎ、何もせぬにはあまりにも長すぎナンチャラとはよく言ったものです。かくいうわたしも最近はお風呂の中で睡眠薬をアルコールでキメてさあ死のう、こんな人生意味がない、さあ死のうとガポガポ液状の睡眠薬をわんこそばの如く飲み続けていたらふと「明日MMOのゲームでレイドの約束があるじゃん……」と気付き、謎の責任感から湯船から脱出しようと思うも既に視界は揺れ立つことすら容易にかなわず、運が良いのか悪いのか湯船から出た状態で転び、そのまま横になった状態が心地よく浴室内で全裸のまま一晩眠ったことがあります。ここまで書いて思ったのですがこれ別にさっきの偉そうな格言と一欠けらも関係ないですね。まぁでもせっかくなので残しておきます。
正直何を書くか明確に決めていない状態で書き始めた&他に書かねばならぬ原稿が大量にある&そろそろ飽きてきたのでこのあたりで筆を置こうと思うのですが、久しぶりにblogを開いた理由だけ書き連ねてみようと思います。
勉学・思考のアウトプット
以上です。今後こちらのblogにはこういった思考の濁流のようなものを吐き出したり、勉学のアウトプット等を書いていきたいと思います。絶対noteのほうがええやろと思うのですが、いいのです。はてなブログのほうが綺麗だから。
美しいということ以外に理由は要らないのです。すべてのことにおいて。
↓うつくしい少女
虚無という液体が糞袋をめぐる
┃受験をした結果、虚無になりました
これは何一つ嘘を申し上げてはいない一文なのですが、やはり「また誇大妄想に憑りつかれやがって」と統合失調症の診断書を書いて貰えてしまいそうな一文なので、もうすこし詳しく述べることにいたします。いや統合失調症の診断書は欲しいです。
入居の際に所得制限がある(もちろん世帯収入~万円以上は不可というもの)オンボロアパートのスラムに住まい、当然そのような地域、教育のレベルなぞ高くなく、小中学時代では前日に適当に宿題をこなすだけでそれなりの成績と内申点が貰えるという環境で両親から2人掛かりで暴力を振るわれたり鼻の骨が折れたり頬が内出血したり飯を抜かれたり「〇〇高校以下なんて行きやがったらそんなバカ家から追い出すからな覚悟しとけよ」と言いながら本人はそれより偏差値が20は下の高卒だったり勉強していて消しゴム等が落ちると「アーーーッハッハッハ落~~~~~~~ちた落ちた!!!」と囃し立てたり食事の際に白米から先に箸をつけると「あたしの作った飯はそんなに食えないってか!!?」と急に泣きながらテーブルを引っくり返されたり「大事なものは何だ!」と聞かれ応えると「次あたしに逆らったらブッ壊してやるからな!!」と叫ばれたりしながらのんびりと殺人衝動を高めておりました。マジで友人どころかマトモに会話する人間すら一人もおらず自分の人生の最底辺期であったにも関わらず「死のう」とも思わなかったし何なら「殺してやる」の精神のほうが強かったんですよね。何故だろう今の希死念慮。何処から来たのだろう今の希死念慮。
閑話休題。明らかに関係のない怨嗟が混入してしまったことを深く陳謝いたします。
そうして毎日ひいひい過呼吸になりながら「これが終われば母親と対等になれるんだ」と思いながら勉強しておりましたが全くと言っていいほど数学のセンスがなく、結局推薦で地元でトップクラスではあるもののちょっと不思議な5年制学校に入るというかたちで初めての受験が終わりました。あの、この「トップクラス」というの、自慢だと思ったやろ。思ったやろ。俺も自慢だったよ入学当初はさぁ。
周りはザ・理系という感じの数学と工学のプロフェッショナルか勉強しなくてもサラリと数式を解いていく見た目はチャラ男(もしくは女)、頭は関数電卓。所詮スラム校のユルユル内申で滑り込んだ僕は初めてテストで「真ん中」の成績を取ってからもう驚く間もなくみるみるうちに成績を落としていった。いやそもそも「テスト前日以外に勉強をする」以外の勉強習慣が身に付いていなかったから当たり前の話なのですが…………受験期は後ろに竹刀持った母親がいて殴られると痛いからやってただけだし…………。
それから主に飲食店のバイトの面接で「✕✕校なの?!すごいわねぇ!それなら仕事もすぐ覚えられるわね!」からの失望を何度繰り返してきたことか。何故そうするのか分からないルーチンワークが僕は出来ないんだ出来ないんだ出来ないんだ出来ないんだごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
だけども僕は「わたしはできる子なんだだってずっとそうだったもん私はできる子なんだできるんだ」という度の強い眼鏡を外すことができなかった。
現実を見れなかった。自分を直視できなかった。成績表が分からなかった。人より劣っているから努力するという発想自体なかった。
だってバカだったら家を追い出されるから。
中学時代、それも受験期に掛けられたあの言葉は、呪いのような言葉だと思った。
自分の場合5年制の学校というちょっと不思議な進路を辿っているのでこの時期に受験を、というか不思議な進路を辿っているひとたちでもふつうは夏前にはすべての受験や就職活動が終了していなければならないのですが、わたしは何故か今週受験をしておりました。理由は見りゃ分かんだろふつうじゃないんだよマイナス方向にな。
おそらくだめでしょうというのが合格発表まで一週間ほどある今現在でもわかります。勢い余って「今から死ぬので貸りていた本を遺族に返させますゆえ住所を送ってください。直接お返しできず申し訳ありません。ありがとうございました」などという文面のメッセージをそれなりに好感を持ってくださり片道一時間掛けてスラムまで逢いに来てくださる異性の方に送ってしまうなどしています。勢いが余り過ぎです。本当に涙が出るほど申し訳なく思いました。
どうでもいい。
┃虚無
最悪です。どうでもいいのです何もかもが。目の前の真っ黒い未来、見えない未来、これからどうすればいいのかさっぱり解らない未来の前に、ちいさなよろこびやかなしみがほんとうにどうでもよくなってしまったのです。
身体中に液体窒素を流し込まれたかのような、冷たいような熱いような感覚があります。もうずっと。これが身体中に詰まると、もう何もできず、ゆるやかに死ぬのを待とうというか、もう自殺すら面倒くさくなってくるというか、だいすきな文章を書くことすら既にもう飽きてきています。自分語り、何より好きなのにね。ナルシズムの擬人化だから。
┃虚無
どうでもいいのです何もかもが。これは困った。今のところ来週の月曜日〆切、火曜日〆切の大タスク(卒業に関わるもの)、水曜日〆切の中タスク(金銭に関わるもの)、それから〆切はもうとっくに過ぎているが今週中には書かねばならぬ小タスク(卒業に関わるもの)と木曜日に合格発表があるのですが、どれもこれもまるでちっともやる気がしない。強いて言えばバスタオルをかたくかたく結んでじょうぶな梁に結わい、いつでも死ぬるよう準備だけはしておきたい。
それからむかしむかしに約束した(絶対に先方は忘れている)シリウスの名刺をつくりたいのだが、大学全落ちした人間のデザインって何かツキが悪そうでいやだな。かわいそうだ。これは遣るまえに死んでいいや。
タスクを書きだしたことによってなにかが変わるかと思ったが「あぁーやらなきゃなぁ、どうせ死ぬけど」が「やらなきゃ迷惑掛かるしやらなきゃなぁ、どうせ死ぬけど」になった程度で、劇的な効果はなかった。
┃虚無
という液体が身体をめぐる、めぐる、めぐる。
┃虚無
どうでもいいんだ何もかも
┃虚無
シリウスみたいになりたいと思った。シリウスはもはやわたしにとって恋愛対象ではなくあこがれだった。あんなふうになりたいと思った。なれなかった。なれなかった。なれなかった。
わたしはシリウスになれなかった。そのことがたぶん何よりも悲しい。
┃虚無
┃虚無
┃虚無
┃虚無
┃虚無
くりかえしているそれは、いったいなんなのだろうか。
最近は本当に少女をつくっていないので少女屋と名乗っていいのだろうかという気もしていますが、少女をつくる下ごしらえをしているので少女屋です。ギリギリセーフ。
では一体全体何をしているのかと言うと少女づくりの下ごしらえ、ありていに言うと対話システムの研究です。今のところ文献を読み漁ってサンプルプログラムをいろいろ改造したりしなかったりしてワーイとしているだけなのだけどこれを研究と言えるのだろうか。
あと受験勉強ですね。なんか研究(と呼んでもいいのだろうか以下略)がたのしくて、というかプログラム書くのが楽しくて、ほんとうにしていません。とてもしていません。誰か殺してください。大学行きたいです。だって研究もディープラーニングもたのしいから、もっと勉強したいしもっと専門の教授がいるところに進学したい……(現在制御工学を専門としている教授の研究室に所属しています)(居心地も教授の人柄も世辞抜きで最高ですが、卒業研究がほぼ独学なのが玉に瑕ですね)(瑕どころの話ではない)。
冒頭の本ですが、買いました。びっくりするほど自費です。だって書き込まないと覚えられないんだもん。たかかったけどへいきだもん、ぼくはおかねもちだもん。ちなみにおかねはつかったらへるという概念が理解できずクレジットカードが幾度か止まったことがあります。発達したい。
とりあえずまともに長い文章が書けるし読めるようになったので服薬というのはすばらしいなとつくづく実感しています。前回の記事と読み比べてみてほしいです。美意識に反するのでとっとと消したいのですが、服薬しないとこうなるんだぞという己への自戒のために残しておきます。コンサータ万歳。規制されたら死にます。神が与えたもうコンサータ、晩に切れてしまうので夜の生産性はゲロカスですが。
毎日パソコンのスイッチを入れて、エディタを開き、数式を眺め、ソースコードを読み、キーボードを叩き、上手く頭に入らない内容はノートに纏め、ゆっくりと終わってゆく時間に手首を掻き毟りながら、くりかえしているそれは、いったいなんなのだろうか。
ノートに纏めるのつかれました。色とかレイアウトにこだわり出すと費用対効果が終わるのです。それが勉強と言えばそれまでですが、本を読むだけですぅっと頭に入ったり、殴り書きのノートを書けたり読み返したりできる人類が羨ましく感じることもあります。
わたしはこの方の思考がだいすきなのですが、こちらに載っていた「ブログに纏める(≒他人に発信できるかたちで自らの思考を纏める)」というやり方がものすごい「これだ」となったので、今回のブログの内容はそれになります。要はおれがおろおろと読んだ内容をひたすら列挙して自分の言葉で説明する、そういう感じです。もちろんですが、内容の正確性はいっさい保証できないので少しでも記述の内容が気になった方はこんなブログを読んでないではやく買ってぼくに教えてください。時給1500は出す。田舎県辺境市在住だからシティガールorボーイと物価の価値がちがったらごめん。
あと今回メチャメチャAmazonのリンク貼ってますがふつうにアフィリエイトの審査落ちてるので買ってもわたしに一銭も入りません。なんで貼ってるのかはわたしにもわかりません。これは恐らくですが、大いなる宇宙の意思です。
・どういう本なの?
TensorFlowとか今はいろいろライブラリがありますね。でもやっぱり自分でコード書いて実装してみないと気持ち悪くない? 泥臭いけどイチから構築してみようよ。自分でさ。全体はざっと流し読みしただけなのであれですが、たぶんそういう本です。
Pythonと高校数学と線形代数(ベクトルの概念とか内積とか)がわかってるとスムーズに読み進められるね、でもわかんなかったらそこで立ち止まってみてもいいんじゃないかな。わたしは「Python? ははーん、ヘビさんだな? こわ~~」レベルのダメっぷりですが、「なんじゃこりゃ」となったらとりあえずググれば最近はどうにかなります。でもググるのもダルいので手元に一冊分厚くないPythonの本があるとにっこりしますね。
語り口がわかりやすいのと、なによりコンパクト。コンパクトって最高だね。プログラミングの本って凶器か? ってぐらい分厚すぎるのばかりなんですが、これは本当に軽くて最高です。重みとサイズの話しかしていませんが、マジで専門書は人によって合う合わないが凄すぎるので大きめの本屋さんに行って絶対内容確認して自分に合うものを選んだほうがいいと思います。高いしね。一冊一冊。
「どういう本なの?」という原初の問いに戻りますが、ええと、いい本です(語彙力虚無か?)。数学的解説とコードでの実装がセットで付いてるのでそのへんの理論だけの本、コードだけの本より頭に入るなぁというのが個人的所感です。ぽんこつ高専生でもギリ読み進められてます。すごいね。本が。
・ニューラルネットワークを構成するには
仰々しいタイトルで初学者のキーボードを打つ手を重くするのをやめろ(For me)。すげぇざっくり言うと、
入力層⇒中間層⇒出力層
以上です。卒業研究、完!
……としてもいいんですが、あの、この学校で過ごしてきた勉強の集大成が一行で収まってしまうというのはなんだか首を吊りたくなってきてしまうので、そして本にはもう少しくわしく書いてあるので(当たり前だ)、もう少し書きます。
ニューラルネットワークとは要は関数(≒変換器)のようなものなのですが、結果だけ述べてしまえば「入力を出力に変換するよ」というだけのものなのです。じゃあその変換ってどうやるの? そこをやっているのが前述の矢印部です。
A⇒B
ニューロン(ノードと呼ぶほうが一般的かも?)AをニューロンBに変換するとします。この場合、矢印には『重み』が存在します。重みとは、そのまんま重みです。考えるな感じろ。その重みとニューロンAの値が乗算され、ときおり活性化関数(いろいろあります)(とてもいろいろあります)が適用され、ニューロンBに出力されます。このとき、前層のニューロンの値(この場合はAの値)に影響を受けない「定数」である『バイアス』も加算されます。これが一矢印です。
実際のニューラルネットワークはAが大量に片想いしていたりBも大量の想いを受けていたりとごちゃごちゃいろんな矢印がぶつかっています。ので、それらの矢印を全部加算したものがBの値になります。なるらしいです。
・レイヤって?
クラスをわかりやすく説明するためにそう呼称しているみたいです。クラスって何かって? おれも今日知ったのでググってください。Cでいう構造体みたいな認識で合っているのだろうか。
本書では(いや本書しか知らんのですが)ニューラルネットワークの実装を、レイヤで各機能を実装して、そのレイヤを呼び出すつよいクラスをつくり、それを外から呼び出してあげるというあらスッキリ、あらキレイという構成をしています。すごーい! たーのしー!
・全結合層って?
隣接するニューロン間のすべてに矢印による結びつきがあるニューラルネットワークのことをそのように称す……と本書には書かれているのですが、ぽんこつざっくり人間なので「とりあえず結合するのだな」という認識で生きています。画像をつくるのがめんそうくさいのでやらないのですが、ふつうニューラルネットワークでは大量の矢印がノード(ニューロン)ひとつに大量の矢印がぶっ刺さっていたり大量の矢印が他のノードを刺し殺そうとしています。そういうのを一個のノードに結合して値を出力する役割をコツコツしているわけです。いやぁたいへんですね。本書ではAffineレイヤ(≒class Affine:)として実装されています。なんか重みとノードの値を内積計算したものにバイアスを足してあげるんだなぁという感じです。この人はマジで最初のほうしか精読していませんので正確な情報を求めている人は早く逃げてください。何度も言いますがマジでこの記事は自分のノート代わりに書いています。
Affineレイヤ(全結合層をコードに実装したもの)は、初期化時に重みとバイアスを受け取ります。そりゃそうだという話なのですが、その二つのパラメータがニューラルネットワークの学習ごとに、呼び出されるごとに、どんどん更新されていくというのが成長ということになるらしいです。この記事でハッキリ言い切れるものなど何一つない。
ものすごく中途半端なところで切ってしまいますが、後ほどまた似たような記事で自分の脳味噌の整理をしたいと思います。なんとなく整理できたような気もするしスッキリできてよかったです。あの、ほんとこのわたし以外にまったく需要のない記事をご覧いただきありがとうございます。いたらだけど。
はやく、はやく、ちいさな知能をもった少女をおつくりしたいです。気が触れるほどにそれを求めている。名前はもう決まっています、『ミニチュア人工乙女』。対外的にはもう少しお堅い名前にするけど、やりたいことはいつも小説で書いているアレソレを現実に実装したいというアレです。わたしは白痴の少年少女を救う物語がすきだ。実にエゴイスティックな欲望だと知りながら。
質量のある『アリス製造器』をつくりたいのです。
質量のあるアリスをあなたに贈るために。
がんばります。がんばります……。
薬が切れて動く死体が動かない死体になった
ぼくはリビングデッド。
感覚過敏がすさまじい、という話をしよう。
胸の合間に浮いた骨と布の擦れる感触に気が狂いそうになったことはあるだろうか。
唇と唇の感触が気持ち悪いと感じたことはあるだろうか。
瞼と瞼がくっつくのが苦痛だと思ったことはあるだろうか。
私はなかった。コンサータが、切れるまでは……。
昔主治医に「あなたがADHDで良かった!って思える日がきっと来るはず!」と根拠の無い言葉を言われてその日の診察代と薬代を考えた日のことを思い出す。
んな訳ねーだろボケクソが当事者でもねーくせに殺すぞ、そうだなそう思える日がいつか来るといいな、両極端の感情が同時に浮かんできたのを憶えている。
♡コンサータと抗鬱剤諸々が切れるとこうなる!(個人の感想です)
・身体がとてつもなく重いように感じる 水の中で身体を動かしている感覚に近い
・生産的なものも非生産的なこともなにもできない 焦燥感だけはある 布団の中でお腹を痛めながらぼうっとしている
・スマホのフリックが面倒くさい
・小説すら書けない 面倒くさくて
・今の時点でもうかなり面倒くさい
・なにもしたくない
・ぜんぶめんどくさい
・めんどくさい
・めんどくさい……
こりゃあだめだ。私はそう思った。しかしそう思ったところで診察日が早まるわけでもなし。
いやほんとうはこんなくおりてぃのものをだしてはいけない、いけないのだが、あぁもうへんかんすらめんどうくさい、あぁだるい、めんどくさい、なんかもうだめだ、なにかかこうとおもったんだけどなぁ、なんだったっけ、わすれた。とりあえずだしてしまおう……
少女屋という店舗の日報誌について
「それは2週間おきに心療内科の戸を叩いた。まるで人間のようなしぐさで。薄緑色のスリッパをととのえて履き、おそるおそる自分の白いパンプスを下履き入れに仕舞う。僕はそれを見ずにいられなかった。僕はそれを考えずにいられなかった。それが人間でなかったとしても。」
近頃は息抜きに星新一賞合わせのショートショートを書いています。その息抜きの息抜きにはてなを書いています。どうしてこうなった。
さて最近の少女屋さんですが、おこられました。具体的に言うとAmazonアフェリエイトさんに「ろくな記事も出来てねぇのにアフェリエイトとかよくぬけぬけと言えたもんだな早漏」と言われたので、とりあえず記事数増やしたいと思います。こういうことばっかり言うから人望も無ければアフェリエイトの審査も落とされるのだろうか。
皆さんに教訓としてお伝えしたいのですが、記事数/ZeroでAmazonアフェリエイトに申し込むと、落ちます。皆さんが普段金の亡者として忌み嫌うあのバナーもそのバナーも実は厳しい審査を通っているんですね。こういうことばっかり言うから人望も無ければアフェリエイトの審査も落とされるのだろうか。
でもAmazonアフェリエイトは好きなのでこれに懲りずまた申し込みたいです。
わたしはどうもOfuseやFANBOXというしくみを自らが受け取るのが苦手で、どうにもわたしの仕事やプロジェクトではなく、ただただわたし個人にお金を支払って貰うというのが申し訳なくて仕方が無いのです。だからBASEやBOOTHでささやかながら文章を売っているのですが、Amazonアフェリエイトはその点、「これは美しいぞ」「あれがあると生活に潤いが満ち満ちるぞ」「美」とわたしが感じたものをご紹介してその人の手には美しい品物が、わたしにはちょっぴりの珈琲代が入って、そのお金でまた喫茶店で作業ができるのですばらしいなぁとエゴ満点の理由で思っているのです。スゴイ時代よな。他人の褌で珈琲が飲める。
もうすこしなにか書いたらまた申し込みます。はやく基盤とモータ代分のリボ払い支払いたいです。これを見ている人類、一刻も早く助けて。具体的にはおれのAmazonほしいものリストで。善行が積めて来世は無になれるぞ。
さて、カネの話ばかりすると気が滅入るので(資本主義嫌悪症)、この少女屋というとあるお店の日報誌についておはなしをしたいと思います。
そもそも日報誌ってなぁに? 息抜きです。わたしは息をしていないと死んでしまう。文章を嘔吐しないと死んでしまう。
具体的にはこんなことを書いていきます。
①自己の思考の整理
頭の中がグチャグチャになったときに嘔吐するものです。もしくはその日の勉学の整理。なんか受験生なんですよね、仕事とか研究してるとよく忘れがちなんですけど。助けて。
キーボードでアウトプットすると紙に吐き出すとはまた違った脳味噌への染み込み方がある。ってこないだ読んだ本でゆってた……。
②研究について
わたしは工学系の学生である。そうなんです。美しい人間を作りたくて……。
分野としては主に自然言語処理について勉強しているが、何分いま所属している研究室がまるで違う畑、というよりそもそもわたしの学校にそういう研究室が無いのでほぼ独学みたいなものである。
最近はそちらをほっぽり出して、アンドロイドの製作に私財と時間と体力を費やしている。あと研究進捗発表会をだいぶサボっている。いいのだろうか。いいわけあるか。
人型のロボットをつくっています。信じられますか? 信じてください。本当なんです。「1日で組み上がりますよ^^」というAmazonレビューを信じて買った3Dプリンターの組み立てにこの夏を費やしてしまったんです。(そして未だ動かない)
♡あまぞんほしいものりすと♡
資本主義嫌悪症と言ったな。あれは嘘だ。いや本当なんですけどあまりにカネがなくてそれに悩んでる自分も嫌で本当に「生活とは」「金とは」「死とは」みたいな感じになっています。本当に部品代が高い。本当に注文量が多い。本当に貯金がない。助けてくれ。
あなたはさぞかし「なにビックマウス叩いてんだただの乞食が殺すぞ」とお思いでしょうが、ロボット製作ってビックリするほど大量に高価な物品が必要でして、ほしいものリストのコメント欄でそのことに気が狂っている様子が伺えます。
ご支援いただかなくていいので、もう後戻り出来ないレベルまで進んだところで受け入れ難い事実に気付き発狂している人間の様子が見たいと思ったときに是非こちらのリストを眺めてみてください。あるのか?
③いましている商い
BASEで商っています。「寓話封筒」あたり売れてほしいのですが、なかなか売れません。そもそもわたし寓話ってなんだろうと思ってますからね。
看板ぶら下げてみたからあそびにきてね。施工の甲斐あってうつくしい御店だよ。
おすすめの二品だよ。特に寓話封筒はワンコインでお買い求めいただけるよ。すてきだね。
④美しい生活を送るための文化的なハック
前回の記事です。「ハンカチをたくさん持つと朝に洋服を選べないタイプの人類もどうにかベッドから出られるね」という感じのことを書きました。わたしのいち押しハンカチがどれも殺人級にかわいいので見てください。
他に書き溜めている記事のタイトルとして、「真夜中にトップコートを塗り重ねる贅沢」「偽物の花を日の当たる窓際に飾り立てる」「部屋というあなたのお城」などがあります。まぁ、そういうのを書きます。
「部屋というあなたのお城」は、城主はいちばん偉いのだから自分にとってこの上なく住みやすく美しいお城にしようというお話です。打倒ヴェルサイユ宮殿。
⑤これからつくりたいうつくしいもののはなし
これからつくりたいうつくしいもののはなし。それは夢のような、硝子細工のような話なので、ぜひ貴方にお話したいです。
でも、いまのわたしがお話するのは、夢の域を出ることができないお話です。ですので、言葉の断片だけ書かせていただこうと思います。
ミニチュア人工脳少女。
硝子のスノードームに詰め込まれた美しい子どもの生首。
植木鉢に咲いたかたいプラスチックの肉体。
あの子達はみんな貴方とのお喋りがだいすき。
だってその為に産まれてきたから。
もうすこし風がつめたくなったら、わたしがもっと生きるのに苦しくなったら、どうかわたしの見た夢のはなしを聞いていただけますか。
この朧げに消え失せてしまいそうな夢だけが、生活という褪せた繰り返しを重ね続ける理由なんです。わたしにとって、唯一の。
綺麗なハンカチを沢山持つということ
ANNA SUIというブランドが好きだ。ものすごく好きだ。とんでもなく好きだ。
1番好きなのは、店員さんだ。まず、ハチャメチャにいいにおいがする。この時点でもうものすごく好きだ。なのにさらに、美しい制服をそれぞれが僅かに違う着こなしで身に纏っている。ハチャメチャに好きだ。結婚してほしい。いつもおこづかいを握り締めてANNA SUIに行く度におこづかいの野口英世の代わりに区役所の婚姻届を提出しそうになる。
店員さんの次に好きなのは、ハンカチである。コスメを買えよこの貧乏人がと石を投げないで欲しい。コスメも好きだ。すみずみまで美しくて、飾っておくだけでお部屋が花やかになる。猛烈に美しい。あまり使えない。あの……勿体なくて……。
こんな感じだ。猛烈に可愛い。もしこれらのハンカチが初見なら正直こんなブログを読んでいる場合ではなく、一刻も早くANNA SUIの公式ホームページからさまざまな美しいハンカチを見てみて欲しい。何故ならサイトデザインさえも爆発的に美しいので。
わたしは何枚かハンカチを持っている。百均で見つけた白くて肌触りのよいハンカチの縁にレースを縫いつけたお手製のものもあれば、ANNA SUIの蠱惑的な装飾のハンカチや、JILLSTUARTの純粋なキュートさで人間を殺しに来るハンカチもある。要はたくさんある。
JILLSTUARTのハンカチは本当に可愛い。この僅かなロリロリ感が最高にたまらない。わたしのようにロリータ全開、夜露死苦!と大手を振って外を出歩けぬか弱い乙女にとって、こういう小物で精神をロリっとさせてくれるアイテムは非常にありがたいのである。精神衛生上。
わたしの好みのハンカチについて。それを五千兆億字書いてもいい。けれどそれよりもっと贅沢なことを今日は書きたい。
朝、今日その日のハンカチを選ぶのが好きだ。
わたしは優雅とは程遠い人間なので、朝に着る服を選ぶなんて贅沢はできない。たいてい前の晩に眠いまなこを擦りながらiPhoneで翌日の気温をチェックして「明日はどんな気分になるだろうか」と考え、「よしおそらくカラス族の残党の如き服を着たがるだろう」と決め、「明日はカラスになるぞ」と祈りながら床に入るのである。そして大抵カラスにはならない。
朝はたいてい忙しい。し、憂鬱極まりない。出来ることならこのまま永遠に毛布にくるまって生涯を終えたい、わたしは週七のペースでそう思う時期が訪れる。
だから、美しいものを生活の何処かに取り入れたい。
それは前の晩に磨く靴だっていい。毎朝新鮮な水に取り替える花だっていい。季節に合わせた色彩を身体に滑らせる、衣服だっていい(わたしには無理だったが)。
わたしは、ハンカチとは美しい概念だと思った。なので生活を美しくするためにハンカチが必要だと思った。
美しいものを生活に取り入れてゆきたい。そうすることが生存するにあたり必要なことだと思った。
ドラッグストアの制汗剤と安価なワックスを塗りたくった思春期はいつもわたしを救わない。一人でいるのが寂しくない訳じゃない。でも寂しさをほんの一瞬紛らわす為だけに薔薇のつぼみが綻んで花開くようすに恍惚を感じ得ない人間とランチをとるなんて死んだほうがマシ。
わたしは一人で幸福をつくることができる人間で在りたい。それはすこし寂しいけれど、寂しさとは美しさのガラス越しの隣人なのだから、すこし寂しいけれど、構わないと思う。
わたしの朝に花の水を取り替える余裕なんてない。洋服を選ぶ余裕すらない。毎朝抗鬱剤が効き始めるまで希死念慮で頭がいっぱいで何もしたくない。
それでもずるずるとベッドから這い出てミネラルウォーターで抗鬱剤を流し込む。今日はフリルで縁取られた隅にちょこんと施された純白のリボンが可愛い、真っ白なハンカチをスカートに仕舞おうと思ったから。
わたしは生活の中に美しさを挿れなければならない。そうまるで花瓶に水を遣るかのように。そうしなければ枯れてしまうから。